上達する・成功するには、上手い人・成功者のやり方をまねるが近道であると言われています。
完全にまねをするためには、成功者の概念、考え方、やり方(形)を全て同じにやることが大事になります。
ですが、それができていれば、上達者・成功者だらけになっているはずなのに、必ずしもなっていない現実もあります。
私自身は、この「まねる」というのはは生きる上で大事な能力であると思う一方で難しい力であるとも思っています。
そんなまねるについて今回は考察しています。
素直な人はまねる事が得意!?
よく素直な人は上達が早いといわれています。
言われてた事がそのままでできるのですから、まねる力が高いと言えるでしょう。
この言われた事がそのままできるというのがまねる力のポイントです。
本人は言われて通りにやっているつもりでも、実は言われた事が出来ていないという事があるからです。
習い事だと守・離・破と日本の芸術・芸道における道を究める上でのプロセスであるように、師の教えを守り、他の流派のやり方をと入れる(離)、自分の独自のやり方を作り出す(破)ことが大事とされています。
まずは「守」で徹底的に自分の流派(師)の技や考えを身に着ける必要性を説いているわけですが、まねができる人とできない人は、すでにこの段階で違いが生まれてきます。
まねが出来ない人は師の考えや技が出来ないからです。
不思議なことに同じ事を教わっているのに上手くできる人とできない人にわかれます。
出来る人は、まねる事が出来ているわけですが、できない人はなぜかできません。
私の例でいえば、過去にいろいろスポーツなどを教わりましたが、最低限の形の真似は出来ていましたが、試合で使えるレベルには全く上達しませんでした。
我ながら素直な人でなかったのだと今更ながら思います。
まねるとはどんな事!?
まねるとは、ただ形をまねるだけでなく教えてくれる対象者(師)の概念や考え方・雰囲気など、まねる対象のあらゆることを自分で再現することです。
たとえで言うと、エクセルシートのコピペの行為が近いです。
エクセルに含まれる関数や文字の装飾などそこに含まれるを全てコピーすることがまねをするということだと思います。
まねる時の形とは、対象となる者(もの)のもつ概念・考えがその教える時の形となって目にみえた姿です。
形どおりにできる=教えをそのまま実行できる=まねる力をもっているということになります。
まねる事が得意のため、しらずしらずに教える対象の概念も自然と取り込むことができているのだと思います。
逆に上達できない人は、まねる事ができないということであり、対象となる教えの概念を自分の中に取り込むことができていないということなります。
同じことを習っているのにできないのは、このまねる力(形の模倣や概念の取り込みといったもの)が上手くいっていないのです。
さらに細かくいうと、全体的な雰囲気(流れ)がまねできていない、教えの言葉の意味の取り違えがあったりします。
全体的な雰囲気のまねができていないとは、部分部分的なまねにとどまってしまい、真似している行動が、ぎこちなさを感じるような感じになってしまうことです。
教える人の動作の癖もふくめてすべてを再現する必要があります。
また、教えの言葉の意味も取り違いでは、教える側の言葉、動作のの意味を勘違いしてしまっているということです。
特に何かの動作とか抽象的な言葉の場合、言葉のイメージの違いや再現しようする形の感覚の違いによりまねが上手くできないといったことがでてきます。
どんな人がまねができない人なのか?
今までまねることをしてこなかった人がまねる力が育ってこなかったと考えられます。
子ども時代からまねる事をしなくてもなんとかなってきた人はまねる事が上手くない人が多いのではないでしょうか。
子どもの頃からまねすることに注意を払わなかった人、記憶力が良く暗記するだけでなんとかなってきた人(点数はとれた人)、頭が良く理解力が早かった人など、まねることをしなくても何とかなっていた人がまねる力が育ってなかったでしょう。
まねる事ができない人はどうする?
では、まねができない人はどうすればいいのでしょうか。
そもそも、まねをすることをしてこず、自分の独自のやり方を貫いてきた人がたちがまねる力がない人なのです。
いまさら、まねる力を育てようとしても難しいのではないでしょうか?
なにかしらの解決方法はないものなのでしょうか?
なにか方法はないのか?
まねる力が弱い人が上手になる・成功者のやり方を取り入れるにはどうしたらいいのでしょうか?
解決法としては、どうせ真似はできないのだから開き直って、最初からまねるのでなく自分独自のやり方を見つける・作っていくという考え方があります。
どういうことかというと、世間では言われているセオリーとは反対の事をすすめていくのです。
上記であげた「守・離・破」ではまずは守で教えができるようになってから離・破に進むようにするわけですが、最初から破・離で取り組むのです。
そもそも、まねる力が足りていないのですから、教わることを正確に実践することができないのです。
時間がかかってもいいから、教わる内容ができるようにしたいというのなら、教えに従って順番通りに行えばいいのですが、自分が思った結果がでなかったり時間がかかり過ぎてあきらめてしまうといった場合も出てきます。
であれば、最初から自分のオリジナルのやり方にするつもりで習っていくのです。
一人の師から教えをできるようにするのでなく、複数の師から教えを受け、それを組み合わせて自分なりの新しいやり方を模索していくのです。
ただ、このやり方の欠点としては、一人の師の教えを完全にまねる必要はなくなるのですが、組み合わせる段階での時間がかなりかかるという点があります。
オリジナルのものになるため、そのやり方が有効なのかどうか結果がわかるのに試行錯誤の時間がかかるためです。
この辺は、まねをして上達するのにかかる時間とオリジナルの制作にかかる時間とを天秤にかけて、自分が望む方法を選べばいいと思いますが、そもそもまねる力が足りないのですから、最初から独自路線でいっても時間的には変わらないのではないとは思います。
まとめ
まねることは大事な力の一つであるというのは多くの人が何となく感じているとは思います。
とはいえ、皆が全てまねる力があり、教わった事ができるとは限らないでしょう。
そんなときに一つの解決法として今回のような考え方があるというのを紹介させてもらいました。
なにかの参考になれば幸いです。
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