価値について考える 其の参

前回では価値の種類についてまとめてみましたが、今回はそれを踏まえたうえで自分が現在何に高い価値をおいているのかを記述しています。

価値を感じるものは沢山あるのですが、そのなかでも今の自分で特に価値を感じている、時間と健康についてまとめてみました。

時間

時間は増やせない貴重なものです。

子どもの頃は時間は特に意識しなかったと思います。衣食住が親から提供されいるので、遊びなど好きな事に時間を使っていました。

やがて、学校に行き勉強しだし、その次は職場で働くようになりと、だんだんと自由な時間は少なくなっていきます。

勉強することや仕事が自分に合っていて、楽しいものであるならば、幸せな事になりますが、自分が興味ない事に時間を使うことになるのなら、もったいない使い方となります。

今の社会では一般的に大人になれば、時間の大半を仕事に使う事になります。

同じ時間を使うにしても自分の興味のあることで働けて食べていければ、最高なのですが、現実はなかなか上手くいかないと思います。

時間とは命そのものであり、時間とは生き物に平等に与えられた最大の資源でもあります。

今やっている仕事が大好きだったり、すでに自分にとって大切な事をしていならばよいのですが、他に自分が大事にすることがあるのなら、そちらに時間を使うようにしていくことが満足できることではないでしょうか?

時間は24時間以上に増やすことはできませんが、時間配分をかえることで一日のなかでやる内容を変えることは可能です。

家族と一緒にいる時間であったり、自分の探求したい事に時間を使う事であったり、ちょっと頑張れば、優先すべきことに時間を使うことができます。

限りのある時間です。大人になったのなら、人に為に使うにしろ自分の為に使うにしろ、満足のいく時間の使いかたを決めていきたいものです。

 

健康

健康も正常を保つという価値あるものです。

人の体は機械と違って古くなった部分を簡単に交換するというわけにいきません。

視力聴力といった五感や内臓や筋肉など、ほどよく機能を使えば長持ちしますが、使わなかったり、使い過ぎれば機能が衰えていいくものです。

歳をとれば、若いころの当たり前が、当たり前ではなくなります。

若いころは無理ができるし、健康に気を遣うことはあまりないと思います。

ですがいったん病気やケガで、常に痛みを感じる日常を送るというのは結構つらいものです。

私自身数年前から腰痛が悪化して、痛みがない当たり前から、痛みがあるのが当たり前の日々になっています。

痛みを感じず、自分の脚で歩いて、食べ物を自分で食べられるなんて当たり前の事かもしれませんが、病気やケガ等で、その当たり前がどうなるかはわからないと思います。

「なにもない」という正常な状態を常に保てるように、自分ができる範囲で気を付けていきたいものです。

 

価値を手にいれるのは難しい

自分が高く価値を感じている時間と健康ですが、実際に手に入れられているかというと、自分が望むところまでには至っていません。

衣食住(お金)について考えないでよいのなら、やりたいようにやるだけですので比較的に簡単なのですが、実際はこれらについても考慮に入れないといけない訳です。(家庭持ちならなおさら)

1日の大半は仕事にかける必要があり、睡眠時間と食事や風呂といった必要時間も考えると、残りの時間はそれほどありません。

そこで、今の現状を変えようとアレコレ手をだすのですが、手を出すことによって、一日の自由になるわずかな時間をつかうことになり、さらに無理をするために健康にまで影響を与えることとなります。

なんでもそうですが、できるだけ早い段階で「気付いて行動する」というのが大事なのですね・・・

 

終わりに

現在は、時間と健康という価値を手に入れるためにその二つを犠牲にしているという変な状態になっています。

昔と違い無理もなかなかできないので、自分が望む形で手に入れるのにかなり時間がかかってしまいそうですが、あきらめずにやっていくつもりです。

 

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関東在住の平凡40代サラリーマン。 既婚、子一人。 趣味は漫画・読書・投資・ネット検索すること 「小さいことからコツコツ」、「楽しそうなことはやってみる」 をモットーに自由にやりたいことにチャレンジしてます。